九十九橋(つくもばし)

中店・窪町と大正町を結ぶ橋です。
昔からあるから海田町民にとっておなじみの橋。というだけでなく、後述しますが歴史を語る橋ともなっています。
名前の九十九(つくも)は瀬野川のこと。昔の海田民は瀬野川のことを 「つくも川」 と呼んでいました。
この “つくも”、”つくも川” という名前はこの橋だけでなく、いろんな所で残っています。
(つくも町という町の名前、海田小学校校歌、 海田西小学校校歌、海田中学校校歌、海田西中学校校歌など)

さて、つくも橋はトラス構造(部材を両端で三角形に繋いだ構造)になったトラス橋(とらすきょう)です。
また、使われた部材ですが、終戦直後の当時、鋼材は貴重でしたので旧海軍の廃材が使われています。
中には銃撃を受けたことが分かる弾痕が現在も見られます。
兵器を製造していた工廠の廃材が戦後復興を支える橋に生まれ変わり,今もなお人々の生活を支えていることが歴史的に価値がある
https://www.pref.hiroshima.lg.jp/soshiki/97/tsukumo-bridge.html
このような理由から、令和3年度選奨土木遺産(土木学会)に認定されました。


令和3年度選奨土木遺産(土木学会)に認定された橋はこの「九十九橋」だけでなく、
中区の中島町と堺町に架かる橋「本川橋」も同年に認定されています。理由は同じです。
そんなことから九十九橋と本川橋は場所は違えど兄弟橋と言われています。
もう少し過去を振り返ると本川橋と海田市には縁があって、本川橋は安土桃山時代に豪商「猫屋」が私財で作った橋と言われています。
(もちろんその頃はトラス橋ではないです)
その猫屋は後に海田市へ移り、海田市の庄屋になり、市の発展や熊野神社の造営に尽力されたと語られています。

参考サイト
九十九橋(つくもはし)
https://www.pref.hiroshima.lg.jp/soshiki/97/tsukumo-bridge.html
爆撃被害建材の再活用橋梁―本川橋、九十九橋
https://www.jsce.or.jp/contents/isan/files/2021_22.shtml
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