旧町名のなごり

Googleマップに海田町の町の名前を書いてみました。黒字が現在使われているもの。黄色が昔使われていたもの。昔は黄色の部分も町の名前として使われていましたが、昭和40年の住居表示実施で町名としては使われなくなりました。よって住所には書かれません。
ただ、この黄色の部分は古くから住まわれている住民からは現在も地区名として呼ばれていたり、現在も公園や自治会の名前としては残っています。似たような話で東京でいえば、原宿とか御徒町みたいなやつですね。今回は、そういう町のなごりを見てきました。
(他にも朝陽や奥谷などの地区があったかと思いますが、今回は中国地図出版の安芸郡精図や、ゼンリン住宅地図に記載があったものだけにします)
港町
現在でいうと、窪町の県道164号線(旧国道2号線)から南の部分

窪地
現在でいうと、海田市駅南側、窪町の窪んた場所

一貫田
現在でいうと、中店の熊野神社から北の部分


一貫田自治会がキャッチコピーとシールを作って貼っているのでしょうか。
市頭
現在で言うと、上市と成本の間




電柱の街区表示板。かなり老朽化していますが、かろうじて読めます。現在の上市にあります。
かなり昔になりますが、市頭橋というのが瀬野川に架かっていたようです。昔の水害で無くなりました。
山畝

上畝

汁免
現在でいうと、三迫1丁目にあたる場所


西谷




東谷
現在でいうと、東、東海田。
残念ながら東谷の文字が入った場所は見つけられませんでした。
昔、東2丁目あたりを工事中に弥生時代の物が見つかった東谷1号遺跡、2号遺跡というのがあったらしい。
畑谷
現在でいうとい、三迫3丁目。

さらに奥に行けば畑谷大歳神社というのもあります。
過去の書物を調べたり、住人の方にお話を聞きながら作成しました。誤っている部分もあるかもしれません。誤った場所があればどうぞご指摘ください。
今回お話に付き合ってくださった住人の方々、誠にありがとうございました。
参考
コメント
この記事へのトラックバックはありません。
この記事へのコメントはありません。