東広島・安芸バイパスが3月19日に全線開通

長いこと工事が進んでいた東広島・安芸バイパスが3月19日に開通と報道がありました。
全線の通称は「東広島バイパス」になるようです。
私は海田町の知識しかないので、このエントリでは海田町を中心とした話題としていきたいと思います。
さて、この都市計画は昭和49年に始まり、東広島バイパスは翌年の昭和50年に事業化されました。
実は私は昭和50年代から海田町に住んでいたのですが、この時に「この辺りに大きなバイパス道路ができる」というのを聞いた気がします。
それから何年もの月日が経過、日の出町や曙町の家やお店があった場所は更地となり、日の出交差点が出来て地下道も設置されましたね。あの辺りは昔、タカキベーカリーや自転車屋がありました。あけぼの公園も今の倍くらいの面積でしたね。

その後、日の出交差点あたりはひまわり畑となりました。
ひまわり畑、町花のひまわりをアピールする絶好の場所であり、ひまわり迷路という遊び体験もできる素晴らしい場所でありましたが、2014年が見納めとなりました。
ひまわり畑の残る2011年から現在まではGoogleストリートビューで様子を見ることができます。
便利ですよね、Googleストリートビュー。
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町の風景が変わったと言え、中々工事が本格化しないため「いつ出来るんかいの」「ほんまに出来るんかのう」と思ってたのは私だけではなかったと思います。
ひまわり畑が無くなった2014年から高架の工事が始まったのですが、私は既に海田町民ではなくなっていたので、しばらく時間が経過した後に変わりに変わった風景を目の当たりにして驚いた事を記憶しています。
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昔この辺りに住んでいた人はどこへ行ったのだろう。
参考
東広島・安芸バイパス事業概要
海田町曙町のひまわり畑が見頃に(安芸スタイルブログ)
海田町曙町のひまわり畑 2012年版(安芸スタイルブログ)
AND BUILD HIROSHIMA
コメント
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バイパス用地の立ち退きは、うちの近所だと「みどり坂」「矢野ニュータウン」「八本松・溝迫付近の新興団地」の3択だったと聞いています…実際、バイパスの用地買収が本格化した辺りからみどり坂の人口が急速に増加しました。買収の進捗は悪めで、一歩間違うとバイパス有料化もあり得た(当初の計画書に料金所の記述があり、現に中野ICには料金所を想定した空き地がある)のですが、有料化で失敗した広島呉道路や熊野道路の轍を踏まぬよう無料化に舵を切った経緯がありました。それでも用地の最後の部分は強制徴用になったこと、バイパスの計画を立てた後に現在の瀬野川公園の埋め立てでバイパスより高い山が出来てしまいここを回避するルート取りに最後まで手間取った(不燃ゴミ埋立地の山のためトンネルが掘れないのでやたら高い高架橋を掛けて迂回する羽目に…)こと、最初に部分開通した時は当時の故・藤田雄山知事や中川秀直議員などを呼んで大々的にセレモニーもした割に最も混む一貫田と大正町を放置で失笑されたことなど、広島の都市計画・道路行政の下手さが全面に出てしまった感もありますが、今はただ開通を喜ぶばかりです…
貴重なコメントありがとうございます。
その辺りの事は知らなかったため大変参考になります。
ここまで時間がかかった背景には色んなことがあったのですね。