旧海田公民館

中店にある旧海田公民館。
2020年に織田幹雄スクエアが出来て、公民館としての機能はそちらに移りました。

入口付近には昭和61年9月23日に制定された海田町民憲章が設置されています。

かつて海田町の成人式はここで行われていましたが、2020年(令和2年)が最後。
2021年(令和3年)からは織田幹雄スクエアで行われています。(2021年、2022年はCOVID-19の影響で5月開催)
そんな成人式を少し振り返ると、これだけの人数の新成人が参加していました(広報かいた参照)
2020年(令和2年) 210人の新成人が参加
2019年(平成31年) 193人の新成人が参加
2018年(平成30年) 197人の新成人が参加
2017年(平成29年) 202人の新成人が参加
2016年(平成28年) 195人の新成人が参加
2015年(平成27年) 209人の新成人が参加
2014年(平成26年) 193人の新成人が参加
2013年(平成25年) 215人の新成人が参加
2012年(平成24年) 191人の新成人が参加
熊野神社でのお祭りの時は学校の先生が待機している場所にも使われていた気がします。
また、かつて敷地内(現在の駐車場部分)に海田診療所という施設もありました。
海田診療所はすぐ近くにある保健センターに機能が移りました。
駐車場・駐輪場から裏の入口まで個性的な壁画が描かれています。




住宅と住宅の間の細い通路が公民館裏の入口でした。

5月近くなると鯉のぼりが見れていたのですが、こういう風景も見れなくなるのですね・・・。

歴史について
江戸時代〜脇本陣がありました

江戸時代に本陣が満室の時など、大名が休憩や宿泊をした施設であり、本陣に準じる役割をはたした。
この付近にあった庄屋の家 猫屋新太郎宅が、当時脇本陣と呼ばれていたという記録が残っている。
この猫屋というのは海田市の発展の歴史ではかかせない、代々海田市の庄屋を務めた庄屋さん。
(猫屋は屋号で姓は加藤)
元々は現在の広島市中区で店を構えていた。その地は後に猫屋町という名前になり、現在に至る。
中々の豪商で、自身の財で猫屋橋という橋までかけた。現在の本川橋である。
その猫屋が毛利の時代に海田へ移住し、商業地として整備されていった。
近年〜公民館設立
昭和31年、海田市町と東海田町の合併を経て、現在の海田町ができました。
そして昭和47年に現在の場所に「海田市公民館」ができました。
(それまでは別の場所に海田市公民館があった(旧名称 海田市公会堂))
昭和63年に海田市公民館が「海田公民館」名称変更。
昭和51年、平成30年には文部科学大臣表彰(優良公民館)を受賞。
令和2年1月に織田幹雄スクエア(海田公民館・織田幹雄記念館)が竣工。
令和2年4月、海田公民館は織田幹雄スクエアの新しい公民館へ引き継がれる。
参考サイト
旧海田公民館について
https://cbastyle.exblog.jp/24469057/
旧海田公民館内部について
https://ameblo.jp/the-punpies/entry-12576769951.html
https://ameblo.jp/the-punpies/entry-12576870884.html
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